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ワレワレのモロモロ

結局、
『本人が体験した出来事を本人が演じながら話す。』
これが一番面白いはず。  岩井秀人ハイバイ

『ワレワレのモロモロ』
2010年10月23日(土)19:00~
2010年10月24日(日)14:00~/18:00~
劇場 笹塚ファクトリー

妹が出演していたので観に行きました。二時間半ぐらいの公演で、九つの出演者自身の体験談を演劇にしたもの。ドキュメンタリーなので、あたかもその場所に居合わせたかのような臨場感でとても楽しめた。
というか、演劇を観ること自体が素人の僕には映画やテレビにはないその場の一体感の中でストーリーにのめり込む感じには独特の面白さがあるんだなとしみじみ感動。
すべてのストーリーが体験者だけに誰よりもそれを演じることに相応しいように思う。どの演技もほんとおもしろかったし、とくに個人的には『半熟たまごのオムライス』がよかった。以下岩井さんの紹介文。

こんにちは。ハイバイという劇団をやっています、岩井秀人です。
僕は基本的には自分の身の回りの事件を元に台本を書いておりまして、
今回の講座に誘って貰った時にも、まっさきに
「それをみんなにやってもらうしかない」
と思いまして、結局こうして、受講生のみんなに自分の身に起きたことを台本に書いて貰い、そして実演して貰います。

これ実は、演劇の根源的な形なんだと思います。

僕たちが普段見ているお芝居って、舞台上に何人かいて、 さもそこの「登場人物」が喋って、さも「登場人物」悲しんだり笑ったりしているように見えますが、
実はその「登場人物」達は誰か一人の人が台本に書いたものを、
その人の代わりというかその、書いた人の演技がへたくそだったり、
恥ずかしいから書くだけにとどまっているだけだったり、
俳優側からしてみたら「お前が書いたけど俺の身に起きたこととしてみんなには知らせたい」
と思っていたりという、色々な思惑があって、今の「いわゆるお芝居」というモノがあるのだと思います。

でも大体の台本のある芝居は、ある一人の作家が書いた妄想だったりするのです。
果たして、そうやって「書く人」「演じる人」が別れていた方がいいのでしょうか。謎です。
「演出家」というのも謎です。
何百年か前までは「演出家」なんていなかったらしいですし。

今回、まず、みんなに、それぞれの身に起きた印象深いことを話して貰いました。それはそれは面白かったです。
みんなで不幸や事件を共有する。
そのために「他人」って存在するんじゃないかとすら僕は思っていますから、生きていて良かったくらい思いました。
そして次に、その、みんなの前で話した時に録音録画しておいたものをみんなに持ち帰って貰い、それを元に台本にして貰いました。
話したときのみんなのリアクションや、その時の自分の「初めて話す感」というのを元に、「じゃあ、それをまた大勢の人の前で当時を再現しつつ表現するとしたら」という課題を与えて、もう、あとは稽古です。
今これを書いているのは8月の上旬ですから、みんなの台本がとりあえずの形で出そろったところです。
今日、今、あなたがこれを読んでいるのがいつなのか分かりませんが、僕たちは僕たちの過去を使って、誰かとつながろうとするために、稽古をしております。
人生はもう、そりゃそりゃ、悲しくて笑えます。
みんなの過去はもう、そりゃ悲しくて笑えます。
是非是非、これをみて、自分の人生の悲しさも思い出して笑って貰えればと思っております。


松本人志も言っていたけど、「笑いには悲しみがある。」ということだ。さらに言えば、悲しいことだから人間はそれを笑いに変えてき続けたのかなと思う。
妹が徳田家のてんやわんやの珍騒動と悲しい一面を真剣に演じたことで、またこれも笑えたのは良かった。ビートたけしの振り子理論がまさに当てはまりそうだ。「思い切り悪いことのできる奴は思い切りいいこともできる、思い切りバカなことのできる奴は思い切り真面目なこともできる」
ビートたけしほどは無理にしても、振り幅がバカでかい人になりたいもんだ。
ワレワレのモロモロ。我々のもろもろの話しにはそんな発見が詰まってたんじゃないかな。
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by tokup_nao | 2010-10-25 01:23 | Trackback | Comments(0)

恐るべし 世界の黒澤

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黒澤明生誕100年記念画コンテ展
場所:東京都写真美術館
会 期: 2010年9月4日 ( 土 ) ~ 10月11日 ( 月・祝 )
休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)

ラヴズ・ボディをみるついでに黒澤明監督のコンテ展見たんだけど、ついでにみた自分を恥じるほど良かった。一言で言うと、「ド迫力」。感情が絵の中に吐き出されていながら、ディテールが精密に描かれる。ルーカスのインタビューの映像を見るとそれらがどういう役割をしていたのかが良くわかる。
ただ僕は、黒澤明監督の作品は一つも見たことない。そのインタビュー映像に時折でてくる映画の一場面がコンテ画と全く同じに構図で雰囲気でびっくりした。やりたい映像がそのまま実現されていた。才能のある人はその感情を伝える技術が非常に長けているのだなとしみじみ思う。その感情の吐き出し方にも熟練が必要なのは言うまでもない。もともと画家を目指していた黒澤だからできることだ。

なかでも、自分よりもでかいコンテ画(あれはコンテ画と言うのか?)の迫力にはヤラレタ。
鑑賞者の感情をたたき切る感情が、侍のごとく襲いかかる。
耳を塞ぎたくなるほどに鼓動が高鳴り、息が切れ、身体が重たくなってくる。
一つ一つの感情の動きと表情の変化、それらが刻々と流れる時間のなかで浄化されていく。
ここはもう映画の中なのかもしれない。

対談 黒澤明vs北野武
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by tokup_nao | 2010-10-08 02:52 | 美術 | Trackback | Comments(7)


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by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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