学生の設計展を巡って

最近ちょくちょく色んな卒業設計の講評会に行ってます。

行ってて思うことが、だんだん大学間の特色が薄くなってきているのではという疑問。

たぶん、ここ数年の各地卒業設計展の影響なのだろうかと思う。そこでのゲストは大体若手の建築家であったりするので、そちらの方々から好評な作品になってしまいがちな気もする。
せんだいの日本一決定戦はもう日本全国の卒業設計の頂点として広く知れ渡っているけども、一方で最近ちらほら(うちの大学の先生も含め)そのせんだい的なノリはどうなのかと言われ始めた。大きい模型がどんどん出てきて今年もその波は大きくなりイベント色が強くなり続ける。
そのかたわら批判的な声が出始めている。何か大きな動きが形式化するとその反作用が必ず出てくるわけだ。いつの時代でも。


d0086747_1574195.jpgそんな波の中で独自の大学の形を出そうと積極的に試みているのが早稲田の建築学科だ。
卒業設計を三人チームでやるというスタイルに切り替えてから今年が三年目。社会や敷地の特性・問題に調査を重きを置いて設計を勧める。最終プレゼンテーションも必ず自分達が社会のどの点に問題を感じているかからスタートしていく。それは抱えている問題がわかりやすくデザインの根拠を浮き彫りにする一方で、自由な造型に開放できないジレンマを抱えている。
石山修武先生は
「もっと造形的になってほしい」のようなことを仰っていた。
確かにグループ設計になるとゼネコン的に落ち着いた形に行き着くのかなと思う。
内部の先生の間にも卒業設計としての方向性は深刻な問題として受け止められていて、今年は
「過渡期なりに頑張ってくれた。来年(の卒業設計)に繋げてくれる秀作だった」ということで落ち着いたようだった。


d0086747_1581876.jpgそして、おもしろいことに『東大×東工大×芸大』の合同講評会でもこれと同じことが起きている。
殆どが社会の問題点を根拠に設計を説明するようなプレゼンテーション。造形的に作っているにもかかわらずくそマジメに論理を語って建築を説明をする。
鈴木了二の言葉を借りれば
「真面目な歌詞を歌う見た目が激しいパンクロッカー」。
それを後押しするかのように
「自分の全存在力を賭けて論理を超えろ」と内藤廣も言う。
ここでは造形的な作品がないと言っているわけではないのだ。造形的につくっているならばその心持ちだけで説明していってもいいのでは?ということだ。
d0086747_1583868.jpg去年の同じ講評会でダンスしながら建築を説明する芸大の人がいた。今年はその人がいなかったわけだ。(その人は今年は司会をしていた)
だが、去年は去年で皮肉なことに「社会的な問題を排除している!」のようなことを言われていたのだ。大学生は先生に言われてはその方向に傾きそれができてしまうと、また逆の方向に突き返されてしまう。そういや僕の学校の教授もいつもそうだな・・・。
実は、この合同講評会は今年で二回目。つまり、来年の優秀な学生達はどう出るのでしょうかね。ははは。

芝浦工大の今年の一位は例年とは違うものが選ばれた。といってもやはり完成度は例年の生徒と同じくらい(それ以上?)だったのですが。
問題設定がかなり局所的で、その場をどう問うか。言ってしまうと、昔は写るとされていた障害者の隔離施設の開放の仕方の提案でした。かなり独りよがりと言ってしまえるくらい造形的だった。でもその強さがその独特な歴史と相まってバランスの取れたいい作品にできた。
個人的には他大学の卒業設計には無い作風でかなり気に入っている。(自分が手伝ったから愛着があるというのもあるが)他大学と比べて芝浦の良いところは何だろうと自分なりに考えた結果、「偏愛」なのかなと思う。
今年の一位は敷地への偏愛、P・アイゼンマンへの偏愛、彼女への偏愛(笑)が感じたかな。三つ目の偏愛は冗談として、やっぱいっぺんに沢山を愛さない強さかなと。ただいっぺん考えられないだけとも言えるが(笑)
二位のマスダさんのもあの障害施設(偶然一位と二位は障害者の施設だった)の偏愛、アーチの偏愛。彼女独特の優しい造型センスもあと押ししたのかな。
堀越先生が講評会で言ってた「愛を感じる作品」ってのも同じことなんだと思う。
いくら論理を並べても、最後は作者が作品に抱く愛の大きさが評価の分かれ道なのかなと。
そう言っちゃたら建築に限らずなんでも同じじゃないかとあなたは思うかもしれない。
でも、実際に世の中を見てみるとそうでもない。金の大きさが価値の大きさになっている。坪の大きさが建築価値の大きさになっている。

この状況を打破するのは愛なんです。

愛なんだーーーーーーーーーーーー。     やっほーーーい。


あ、失礼しました(笑)


まとめると、感受性をもっと大事に敏感に育てて愛のある作品つくろうぜ! ってことで。



   芸大学部生
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   芸大修士
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   芝浦学部生
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by tokup_nao | 2008-03-04 01:59 | 建築 | Trackback | Comments(4)
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Commented by ごーし at 2008-03-05 23:49 x
よっしーとコンペの相談してて
「ごーしには愛がないね」と言われたよ。やっほーーーい。

まだ早稲田のしか行ってないけど、出発点がどんなぶっ飛んだ案でも、着地点はみんな理路整然としていて。
良いのか悪いのか、はわかりませんが。芝浦に足りないものでは無いかと思いました。まあ3人チームで完成度高いって考えも出来るけど。
Commented by tokup_nao at 2008-03-06 04:21
愛ですか。  人間の永遠のテーマだ。
すぐ答えが出るもんじゃないさー。

完成度があると現実感が出て、現実感が出るとぶっ飛んだ案が縮こまっちゃったり・・・。ようはバランスなのでしょうかね。
Commented by りんたろう at 2008-03-11 04:59 x
そのバランスにおける究極の重心はどこにあるんだろうか;悩む。社会性と自己の二元論だけじゃ無い気もする。
Commented by tokup_nao at 2008-03-12 08:44
自己が社会に反映された結果の意思と見れたらそれは必ずしも自己完結型ではないな。反映され具合で自己にも色んな段階があると思うし。
自己のどこら辺を出すか、社会のどことリンクするかで、それぞれの強弱も違ってくるし。
包括的に考えると二元論としてきっぱりはわかれないかもね。


tokup.nao@gmail.com


by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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