『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』を読んで
2024年 04月 16日
本書ではスマホによって奪われてしまったものにはっきりと輪郭を与え、現代人が知らず知らずのうちに陥る罠に警笛を鳴らしていた。
でもだからと言って、今すぐスマホを捨てろ!みたいなことは言わずに、どう付き合っていけば良いか現実的に考えさせてくれた。
スマホによって、益々加速するわかりやすく早く消費されていくコンテンツ。
情報の中身ではなく人の注目それ自体が価値を持つようになってしまった経済(アテンションエコノミー)の波が止まらないSNS。
タイパ・コスパが正義となる世界観。
そんな中で、いくら気を付けても、油断すると快楽的なダルさに浸って、脳が死んでいく怖さがあるなと思っていました。
この本はその状況に抗う処方箋として、『孤独』や謎や問と一緒に生きること(消化しきれない難しさを腹の中に抱えておく能力のことをネガティブ・ケイパビリティと定義)を提唱しています。難しくなりがちな哲学をアニメや映画を入り口に翻訳してくれて、哲学に馴染みのない人にもわかりやすい構成だった。
先日みた映画『オッペンハイマー』の監督クリストファーノーランは、本が好きだがネット嫌いで有名らしく、その理由はネットだとコンテクスト(物語の背景)が切り落とされて、深みがなくなってしまうから、という事らしい。
やはり、深いとこに入っていけるからこそ感動があるんだろう。同じ台詞でも、どんな背景で言うかで感動が全く変わってくるもの。
タイパ重視で内容を理解しても、感動の深みに入れなくなってしまうのはもったいない。
これは消費重視に振り切っていく渋谷の再開発の街並みにも言えるのかもなと思ってしまった。
スマホ化する都市。
窮屈になってしまった。
もっと理解できないモヤモヤを抱えたような、奥の細道の先に何があるかわからないような、誰もがよくわかってない領域があるくらいの街が、人間にとっては健全なのかもしれない。
by tokup_nao
| 2024-04-16 20:42
| 本
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