上野原市の民家を訪ねて
2020年 01月 18日
住宅の改修の依頼で山梨県上野原市まで行ってきました。
定年退職し、実家の家を綺麗にしてこれから住んでいきたいというお話だった。
実際に行ってみると、「古民家」のような可愛い響きでは済まされない凄まじい家だった。
話を聞くと、過去に一度曳家をして向きを90度変えたそう。曳家をしたのが子供の頃で、最初の最初に建てられたのは江戸時代らしく、正確には本人もわからないとのことだった。民家研究者なら見たらすぐわかるのだろうか。
また、曳家によって家の向きが90度変わったので、本来南北にあるはずの部屋が東西にあるようになり、少し住みにくくなっているようだった。
昔はこの上野原市では蚕種石(こたねいし)神社で行われる百八炬火という行事が今でもあるくらい養蚕が盛んだった。
そしてまさに、この家で蚕を作っていて、その道具がなんとまだ屋根裏に残っていた。
家の主人も屋根裏に何十年ぶりに上がったと話されていた。
屋根裏は二層になっており、全体としては三階建てのような構成になっていた。外からは想像もつかない。
一層目と二層目は2050mmくらいで、三層目は一番高いところで2.5mくらいあった。
二層目と三層目はそれぞれ一室になっており、二層目は四方向に窓があり、三層目は床がすべてスノコで屋根トップは風が抜けるようにしてある。
二層目で蚕をつくり、三層目で並べていたようだった。
一階は建築の教科書で伝統的な民家を見たのと同じで、廊下がなく部屋同士が隣り合う田の字プランだった。そこに縁側がつくシンプルなもの。後から水回りは増築されていた。
天井高さは梁下で1800mmくらいしかなく、昔のスケールが体験できた。江戸時代は平均身長1600mmいかないくらいだったことを考えると、まあ自然な高さだったのかもしれない。
改修の見積もりのために来たが、民家体験の修学旅行に来たような気分だった。
実は地方にはこのような民家がゴロゴロしてる。しかし、管理が難しく痛んでるものも少なくない。柱や梁に使われている木材は今では手に入らない大断面のもの。
痛んでしまったものは、直すのにもかなり技術&資金がかかる。かと言って大きいので壊すにも大変だ。
この家の周りにも同時代に建てられたであろう民家がいくつかあった。こうして、地方の文化を伝える美しい民家が目の前で行き場をなくして朽ちていくのを目撃すると心が痛い。
昔、ある恩師に「残っていくのもが文化だ。」と言われた。この民家を訪れてその言葉の意味をいま一度考えてしまう。
上野原市の民家を調べていると、市内で合同会社古民家のっけが運営する宿を作る様子がYouTubeにあった。
やはり、今回見た民家と構成がほとんど同じだった。
森田千史氏の構造の説明は適格ですね。
あのボロをここまで持っていくエネルギーすごい。
by tokup_nao
| 2020-01-18 18:32
| 建築
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