ペーター・ツムトアの『建築を考える』を読んで
2019年 07月 06日
ズントーが日頃感じてることをさらさらと書き綴ったもので、本全体が整理された論理などではなく、こんなことあったんだけど自分はこう思うと感覚的に書かれた日記のようだった。
始めの方に自身のドローイングについての部分が印象的だった。
“いまだ未来にある現実を指し示していくようなドローイングが、私の仕事では重要になる。したがってドローイングのさいには、非本質的なものによって逸らされない程度で、自分が求める基本的な雰囲気がつかめるような微妙なところで視覚的描写をとどめている。”
また、それぞれの部分に「感覚的につくっている。」のような言い方が度々出てくるのが
新鮮に感じた。日本ではそれは言ってはいけない言葉のようで、いかに論理的に説明するかが求められている。これを読んでいると、ああ、言っちゃってもいいのかな、と思えてくるけど、まだ日本のアーキテクト達はみんな抵抗を感じるだろう。
長谷川さんのガンバゼーションでオルジァティが個性爆発させていたけど、それもヨーロッパという寛容な土壌があるから評価されているようにも感じた。
日本もこれから色んな個性を評価するもっと多様な雰囲気になると、表現の幅が広がっていきそうだ。
また、日本にも興味があるのか、谷崎潤一郎のひとネタがどこの時代も変わらないのだなと思わせる。
“『陰翳礼讃』の著者谷崎潤一郎は、石山寺に月見に行くつもりでいたところ、月見客を愉しませるために「月光ソナタ」を流し、灯りや電飾をつけると聞いて、取りやめたという。”
時代に風化されないだろうズントーの建築の秘密が少し聞けたような本でした。
by tokup_nao
| 2019-07-06 15:01
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