離れることもなく、混ざることもなく。
2013年 05月 31日
やっと、先週修理に出していた自転車が帰ってきた。
ペダルの軸がいかれて、かなりの致命傷だったらしい。ペダルの軸といったらもう自転車の心臓部のようなものだ。
危うく廃車になるとこだったが、なんとか持ちこたえて、生還してくれた。
かれこれ、修理をし続けてもう七年くらい乗っている。ほんとご苦労様。
修理の醍醐味は、戻ってきたときに「ああ!なんか違う!」ってなることだ。
毎日乗っているものだから、本人にしかわからない些細な違いが、乗ったときに全身を突き抜ける。
もっといい自転車はたくさんあるけど、こんなボロでも一応楽しみはあるし、愛着も湧いてしまう。人とものが織りなす積み重ねた時間は、なにものにも代え難い。
でもその一方で、直らなくてもよかったかも、と思う自分がいた。
いや、でもほんと可愛いチャリなんだよ、こいつは。
でもいっそのこと、地雷でも踏んで粉々に粉砕したら、とか考えちゃう。溶解炉に落っこちて、ターミネーターのような終わりも悪くない。
そう、正反対の気持ちが僕の中で共存してしまっている。
これはいったい、なんなんだろうか。
存命させたい気持ちと壊したい気持ちが、ゆらゆらと僕の中を行ったり来たりしている。
それはまるで、アイスカフェオレのミルクとコーヒーが上下に淡い境界をもって、絶妙なバランスで一つの形をなしている感じに近い。
ひとたび、ストローですくってしまいでもしたら、そのバランスは永遠に取り戻すことはできない。
対立するのではなく、一緒のいいバランスになって、ゆらゆらとしている。ゆらゆらと違うものが共存してしまっている。
でもこれは、この自転車に限ったことでもないのかもしれない。
時間を掛けて作ったガンダムを爆竹で吹っ飛ばしたり、演奏が終わって破壊で締めくくるバンドマン、廃墟萌えな建築家や、フロイトがいう『エロス』と『タナトス』、燃やされてしまった金閣寺。スモークオンザウォーター。
はたまた、創造と戦争を繰り返す人類そのものであったり。
対立するでもなく、矛盾してるわけでもなく、不思議に同時に存在してしまったゆらゆらしたものが、世の中にはたくさんありそうだ。
このゆらゆらは、ときに人を惹きつけて離さない。
くそう、この自転車も、しっかりとその世界の一部であり続けている。
トンッ!、と無造作にテーブルの上に置かれたアイスカフェオレで、僕は一気に現実に引き戻された。
外を見やると、道行く人々が傘を差し始めていた。
少し濡れた僕の自転車は、何か言いたげに、日の光を受けてキラキラと光っている。
「先に飲んでいいよ。」
と友人が言うと、喉が渇いていたが、
「いや、大丈夫。待ってるよ。」 といった。
この日ばかりは、このゆらゆらとした境界を、もう少し眺めていたかったから。
ペダルの軸がいかれて、かなりの致命傷だったらしい。ペダルの軸といったらもう自転車の心臓部のようなものだ。
危うく廃車になるとこだったが、なんとか持ちこたえて、生還してくれた。
かれこれ、修理をし続けてもう七年くらい乗っている。ほんとご苦労様。
修理の醍醐味は、戻ってきたときに「ああ!なんか違う!」ってなることだ。
毎日乗っているものだから、本人にしかわからない些細な違いが、乗ったときに全身を突き抜ける。
もっといい自転車はたくさんあるけど、こんなボロでも一応楽しみはあるし、愛着も湧いてしまう。人とものが織りなす積み重ねた時間は、なにものにも代え難い。
でもその一方で、直らなくてもよかったかも、と思う自分がいた。
いや、でもほんと可愛いチャリなんだよ、こいつは。
でもいっそのこと、地雷でも踏んで粉々に粉砕したら、とか考えちゃう。溶解炉に落っこちて、ターミネーターのような終わりも悪くない。
そう、正反対の気持ちが僕の中で共存してしまっている。
これはいったい、なんなんだろうか。
存命させたい気持ちと壊したい気持ちが、ゆらゆらと僕の中を行ったり来たりしている。
それはまるで、アイスカフェオレのミルクとコーヒーが上下に淡い境界をもって、絶妙なバランスで一つの形をなしている感じに近い。
ひとたび、ストローですくってしまいでもしたら、そのバランスは永遠に取り戻すことはできない。
対立するのではなく、一緒のいいバランスになって、ゆらゆらとしている。ゆらゆらと違うものが共存してしまっている。
でもこれは、この自転車に限ったことでもないのかもしれない。
時間を掛けて作ったガンダムを爆竹で吹っ飛ばしたり、演奏が終わって破壊で締めくくるバンドマン、廃墟萌えな建築家や、フロイトがいう『エロス』と『タナトス』、燃やされてしまった金閣寺。スモークオンザウォーター。
はたまた、創造と戦争を繰り返す人類そのものであったり。
対立するでもなく、矛盾してるわけでもなく、不思議に同時に存在してしまったゆらゆらしたものが、世の中にはたくさんありそうだ。
このゆらゆらは、ときに人を惹きつけて離さない。
くそう、この自転車も、しっかりとその世界の一部であり続けている。
トンッ!、と無造作にテーブルの上に置かれたアイスカフェオレで、僕は一気に現実に引き戻された。
外を見やると、道行く人々が傘を差し始めていた。
少し濡れた僕の自転車は、何か言いたげに、日の光を受けてキラキラと光っている。
「先に飲んでいいよ。」
と友人が言うと、喉が渇いていたが、
「いや、大丈夫。待ってるよ。」 といった。
この日ばかりは、このゆらゆらとした境界を、もう少し眺めていたかったから。
by tokup_nao
| 2013-05-31 02:00
| コラム
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