どうじょう
2010年 11月 01日
出演本井博之, 小松美睦瑠, 政岡泰志(動物電気) 他
脚本小松美睦瑠
演出小松美睦瑠
コマツ企画
妹に何かおもしろい演劇教えてよーとメールしたら、コマツ企画を勧められたので行ってきた。
お金で男女関係をつくる商売をしている会社の話しだった。最終日ということもあって、満席でだった。笑いが絶えない演劇であった。
誰もが自由にやっているようで、でも実は誰もが屈折した部分を持っていたり。
明るい日常の中に、ふと吹き溜まりができてしまって、何かの弾みで一杯になったバケツを一気に逆さにしたように、いや、もう感情の底が抜け落ちるとでも言うのか。
青年がつぶやきが、次第に叫びへと変わってくる。
「僕は変わりたい・・。変わりたーーい!!あああぁぁぁぁ。カワリターーーイ!!!!!」
あの台詞は、あの舞台に出てきたみんなの台詞のように感じさせた。あのたった一つの言葉で、バラバラだった人達が、突然一つの星座のように形として現れた。
どうじょう
同情?
あの青年が変わりたかったこと。
それは、人に同情できる人になることだったのかな。
あの女性に対して
「僕には、重過ぎます・・・。重いんです。」
と言ってしまう自分。彼は他人に同情できない自分を責めていた。
またある男性はこう言う。
「僕に同情してください。」
情を受ける人もかける人も、みんな自分と戦っていた。
あの何とも言えない感情の動き、その気持ちって演劇だからこそ出てくるのかな。
感情は生き物だから、あの場でつくる雰囲気や空気感、演劇だからこそ、出てくるものがあるのかな。
演技ってのは、人間がある時空間を越えた人間を表現する為に最も古くから用いられている技術だろう。その歴史は想像のつかないくらい深そうだ。感情を感情で表現する。もっとも原始的でストレートでかっこいい。生の演劇は映画やドラマとは似ているようで全く違う回路を通しているようだ。それは同じ話しでも、小説の読後感と映画化されたものが全く違うのと同じくらい違う。小説ももっと踏み込めば、読む時期タイミング勧められた人によっても違う読まれ方をする。それぐらい生きているものだと思う。演技も、あらゆる人とその人が起こす小さな事が連鎖して物語になっている以上、何が起こるかわからない未確認生物Xだ。
建築だって、建てるまでは誰もわからないし、使う人によって180°変わってしまう物体Xだろう。でも少しでもそのXのベクトルを使用者(体験者)自信によって正確な方角へ向けさせたいわけなんだけどね。その思いは演技も小説も建築も同じなのかもしれない。
by tokup_nao
| 2010-11-01 01:10
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