とある世界の展示
2010年 08月 27日
「石上純也展 建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?」
資生堂ギャラリー
2010年8月24日(火)から10月17日(日)まで
韓国から帰ってきたぞ。食べ物が最高に旨かった。食いしん坊にとっては天国のような国。24時間常にお腹いっぱいだった気がする・・・。一週間で5kgぐらい太ったかも・・・。もちろん建築も良かった。それは後ほど。
成田空港に帰ってくるなりさっそく後輩からメールが来ていたので、その次の日すぐに豊洲に行くついでに資生堂ギャラリー行ってきた。
最初のパネルに石上の態度を示すのに一番的確な言葉があった。
「私たちがまだ知らない世界を切り開くひとつの手段として建築があるのではないか」
とても強く印象に残る。というか、本人の建築に対する態度の言葉がこれぐらいしか見受けられなかったのだ。そういう、可能性の開く建築を創っていく態度は、今回の展示でみられた狂人じみたスケール感によく出ている。それは鬼石多目的ホールで感じた妹島のスケール感にも似たような感覚だ。でも両方とも、西沢立衛が講演会で言っていた「スティーヴィーワンダー状態」を創りだす個人の感性を公共にしてしまうパワーがあるのだろう。
展示を見ていくと、世界を一周する橋の案は過去に誰かがコンペで出していたなと思ったし、雲を発生させ部屋に雨を降らす案も後輩がコンペでやっていたな。しかし、こうして学生以上に柔軟なスケール感を連続的に考え展示していくと、とある世界観にまで広がっていく石上の粘り強さが感じられた。
その、現代の技術力では100%現実不可能な提案の山があって、KAIT工房があるんだと思うと、何かとても狂人に見えた石上もしっくり伝わってくるのだ。そういう意味では、捉えにくい石上の影を捕まえた気分にさせてくれるいい展示だった。
平日にも関わらず、前のチェコ写真(休日)のときとは違い沢山の人が来ていて驚いた。
建築外の注目も多いようだ。
東京現代美術館の展示でも話題になったこともあり、今回も建築の垣根を越える展示であったことは間違いなさそうだ。
まずは足を運んで、建築がどこまでひろがっていけるのか?はたまた、どこまでひろがってしまっていいものか?この目でしかと見定めたい。
もし、沢山の僕ら若い世代がこのスケール感を見て強く共感したとしたら、その先の建築はどんな風になってしまうのだろうと妄想が膨らませたり。その一方、この世界が気持ち良すぎるのでそれを客観的に見ようとしてみる。
ともあれその日は、韓国の建築を沢山みた後の日本でのこの展示は一番近い国でありながら双方のギャップをすごく感じた日だった。
あーーーーー、サムギョプサルまた食べたい・・・。
お土産に研究室にスパークリングマッコリ(スーのお勧め)や韓国茶(パック)を置いておくので飲んじゃって下さい。
資生堂ギャラリー
2010年8月24日(火)から10月17日(日)まで
韓国から帰ってきたぞ。食べ物が最高に旨かった。食いしん坊にとっては天国のような国。24時間常にお腹いっぱいだった気がする・・・。一週間で5kgぐらい太ったかも・・・。もちろん建築も良かった。それは後ほど。
成田空港に帰ってくるなりさっそく後輩からメールが来ていたので、その次の日すぐに豊洲に行くついでに資生堂ギャラリー行ってきた。
最初のパネルに石上の態度を示すのに一番的確な言葉があった。
「私たちがまだ知らない世界を切り開くひとつの手段として建築があるのではないか」
とても強く印象に残る。というか、本人の建築に対する態度の言葉がこれぐらいしか見受けられなかったのだ。そういう、可能性の開く建築を創っていく態度は、今回の展示でみられた狂人じみたスケール感によく出ている。それは鬼石多目的ホールで感じた妹島のスケール感にも似たような感覚だ。でも両方とも、西沢立衛が講演会で言っていた「スティーヴィーワンダー状態」を創りだす個人の感性を公共にしてしまうパワーがあるのだろう。
展示を見ていくと、世界を一周する橋の案は過去に誰かがコンペで出していたなと思ったし、雲を発生させ部屋に雨を降らす案も後輩がコンペでやっていたな。しかし、こうして学生以上に柔軟なスケール感を連続的に考え展示していくと、とある世界観にまで広がっていく石上の粘り強さが感じられた。
その、現代の技術力では100%現実不可能な提案の山があって、KAIT工房があるんだと思うと、何かとても狂人に見えた石上もしっくり伝わってくるのだ。そういう意味では、捉えにくい石上の影を捕まえた気分にさせてくれるいい展示だった。
平日にも関わらず、前のチェコ写真(休日)のときとは違い沢山の人が来ていて驚いた。
建築外の注目も多いようだ。
東京現代美術館の展示でも話題になったこともあり、今回も建築の垣根を越える展示であったことは間違いなさそうだ。
How small ?
How vast ?
How architecture grows ?
建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?
まずは足を運んで、建築がどこまでひろがっていけるのか?はたまた、どこまでひろがってしまっていいものか?この目でしかと見定めたい。
もし、沢山の僕ら若い世代がこのスケール感を見て強く共感したとしたら、その先の建築はどんな風になってしまうのだろうと妄想が膨らませたり。その一方、この世界が気持ち良すぎるのでそれを客観的に見ようとしてみる。
ともあれその日は、韓国の建築を沢山みた後の日本でのこの展示は一番近い国でありながら双方のギャップをすごく感じた日だった。
あーーーーー、サムギョプサルまた食べたい・・・。
お土産に研究室にスパークリングマッコリ(スーのお勧め)や韓国茶(パック)を置いておくので飲んじゃって下さい。
by tokup_nao
| 2010-08-27 18:13
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