Where is Architecture?

「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー
2010年4月29日(木)~8月8日(日)

声に出して言ってみよう。

「建築はどこにあるの?」

そのとたん、その言葉は宙にふわりと浮いて、なに色にも見えない淀みと煌めきを含んでいるように見えてくる。そう、建築には場所があって初めて仕事が動き出すものなのに、この言葉はその建築の場所を探している。もしくは、あなたが知っていた、誰かから聞いた建築を再び探しに行く建築の旅でも始まるかのようだ。
哀愁さえ漂ってきそうなこの言葉を手掛かりに、現代建築が、そして僕らが背負うべきこれからの建築がどこにあるべきなのか考えたい。

「建築はどこにあるの?」

あなたは、これに何と答えるべきか。




全体を見てみて、体を動かす作品が多かった。
その中でも中村竜治の『とうもろこし畑』は動きながら見ると楽しい建築であった。



『写真と建築』の議論はたくさんされてきたけど、『動画と建築』って聞かない。建築と映画が近いかもしれない。そこにはストーリーが入ってくるだろう。
もっと身体的に線型的なストーリーとコンテクストに乗っかって、感じて楽しいという意味での動画と建築。身体で感じる時間経過と建築といってもいい。インスタレーションということでは、その体感できる建築のようなものが上手く表現されやすかったようだ。また、言葉ではなく共有できる身体感覚で共感させるということでは、日本の特徴を表す現代建築にとても接近していた展示だったかもしれない。

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アトリエ・ワンのピクニックに参加して講演会を聴いたこともあり、それが振る舞い学から説明すると、一層明快に伝わってきた。
アトリエ・ワンの提唱するThe Architectural Behaviorlogyは名の通り誰にも振る舞える優しい建築を目指している。振る舞えるということは、その対象物は日常に使っていたものから派生しているような、経験したことのあるものの延長がアイデアとして拡張されたものが多い。たとえば、リムジン屋台は新しいものでありながら、既存の屋台を連想させるので誰でも使い方はわかる。振る舞える形をもっている。それでいながら、新しい環境を創出できる強さを持っている。
塚本さんは講演会で、『60年代末から70年代初頭の篠原一男の「住宅は芸術である」や磯崎新の「都市からの撤退」の内的で防御的な建築の亡霊に悩まされた世代の人たちが建築界から段々いなくなろうとしている。』のようなことを言っていて、やっと僕たちが建築をできるような環境ができてきたということだろうか。


とはいうものの、それぞれの作品にはそれぞれの味わいがある。

中山英之
この作品は展示室全体が1/5スケールになってしまい、壁に掛けてある絵ですら1/5人間には丁度よい高さにしてある。その為か、全体が小さくなったというよりも、自分が大きくなってしまったかのようであった。そして、その小さな世界にお邪魔するかのように鑑賞者は誘導され、腰をかがめたり、チェックの座布団に座りながらその小さな空間を体験する。1/5人間にとっては大きな空間だったので、大きさ程狭さは感じない展示であった。恐らく、中山英之の作品も他と同様の大きさであったら、展示室全体はかなり圧迫感のあるものだっただろう・・・。

鈴木了二
建築の縦横非を変えないで引き延ばした作品群。展示会場によってこの建築は変幻自在に伸び縮みしてしまいそうな、少し不気味な雰囲気の漂う建築であった。GAギャラリーでも同じものが展示してあったが、そちらのはケント紙で作ってあったので、違う印象を持った。歪められた建築の開口部のようなものから鑑賞者は中を窺い見る。外側の重たいヴォリュームに対して中はガラスで反射しグリッドに浮かんだ家具が配置されている。

中村竜治
歩きながらパラパラと変化していくパースペクティブ。均一なようでいて、実は景色が徐々に変化していく。三角の平面計画が効果的。

内藤廣
スカーフを持たされると、動きたくなる。動きを促すという点では、とても身体的建築的なインスタレーション。

菊池宏
時間経過の展示。圧縮された時間を体感することができる1/1の模型のような動画のような。

伊東豊
模型のなかに模型があるような展示。唯一のベテラン建築家。身体性を言及しているので、もっとそっちの方向でアプローチしてほしかった。
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そして、筑波大鵜沢研の宮下くんを中心にした企画のピクニックで貝島さんと少し話すことができた。

貝島:「この建築どう?」

Bebe:「皇居の周りをぐるぐる回っている人が休みにこれていいと思います。かたい美術館に対して柔らかい動物がいいと思いましたー。」

貝島:「私も日曜にランニングしててね、ここで休むの(笑)。あと、ヨーロッパで噴火があったときに美術好きの人達が沢山来てくれて、この動物をうちにも創ってほしいと言っていた人がいたけど、これは日本の曲がりやすい竹でなくてはできないからダメだったんだ。実は、ヴァナキュラーだったりするの(笑)。奥が深いでしょ(笑)。」


そんな感じで、熱い日差しが差し込む土曜のランチを竹の動物のお腹の下でみんなで食べました。


振る舞い学は何だか誰にも溶け込みやすい感じで、近代化の流れの中での今和次郎だったり、70年代の価値観を払拭しているし、多木さんの難しい理論の再解釈であり、かつ個人が尊重されゆく媒体群という観点から見ても現代的でありいいなと思った。
篠原一男が70年代初期の住宅論で「住宅は芸術である。」と言った。その40年後2010年。現代建築がインスタレーションとして国立近代美術館で展示された。
篠原一男の言説を少し言い直してみると、

「建築はアートである。」

それはもちろん、良い意味も悪い意味で含んでいる。
アートは垣根を知らない。それでいて、建築も知らない。
議論が起こらない。自己の最大限の尊重。
プロダクトデザインと建築デザインをごっちゃにしてはまずい。ましてや、建築をインスタレーションの中で探すのもまずい。僕が共感できたのは、実際に竹橋のランナーにも作用し、国立近代美術館の表情を変えたものだった。あの入りにくい芝生を休むことができるスペースに作り上げたことに、一番「建築」を感じることができた。周辺を読み取って、環境を創るのが建築です。


「建築はどこにあるの?」


もう答えはみつかったかな。


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by tokup_nao | 2010-06-16 01:33 | 美術 | Trackback | Comments(2)
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Commented by MOMO at 2010-06-22 21:59 x
きれいだね^^スケールアウトしてもダウンしても面白そう
Commented by tokup_nao at 2010-06-23 00:29
きれいなんですよーーー 規模もすごいし
抽象的なフレームだけだからこそイメージを感化させてくれる
色んなスケールを想像させてくれるんだな


tokup.nao@gmail.com


by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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