衰退と成長の記憶

古屋誠一 メモワール. 「愛の復讐、共に離れて…」
5月15日 ( 土 ) ~ 7月19日 ( 月・祝 )
東京都写真美術館

1985年10月7日、東ドイツ建国36周年の記念式典が行なわれているさなか、夫と息子の三人で住んでいた東ベルリンのアパートの9階から身を投げた。統合失調症の妻・クリスティーネが自ら命を絶ってしまった。
それから、11年のブランクを乗り越え現像され発表された「メモリーズ」を含めた古屋誠一の集大成と言える展示。

「彼女の死後、無秩序な記憶と記録が交差するさまざまな時間と空間を行きつ戻りつしながら探し求めていたはずの何かが、今見つかったからというのではなく、おぼろげながらも所詮なにも見つかりはしないのだという答えが見つかったのではないか」

古屋の残す言葉と写真には、個人的でありながら、どこへでも通じる真理を持っているようでドキリとさせられる。滅びゆくクリスティーヌと、成長しゆく息子の光明。
どうしようもない時間の流れの中で、古屋は紆余曲折しながらシャッターを切り続ける。

あの11年には記録を記憶に熟成させる期間だったのだろうか。これは、写真家でありながら自分の記録には背を向け、しかしそれはどういうことが考え続けた古屋の戦闘の歴史でもある。「円環」と題された動物の抜殻の写真にも、自分の立場を如何に客観的に見ようかという苦悩を感じさせる。

多くの媒体が急激に発達し、何でも記録に留めることができるようになった今、あなたはどれだけの記録を記憶に昇華させることができるだろうか。
時間や空間を亡きものにして、主体と客体の関係を葬り去り抉りだされた写真群。古屋の写真には、どれも哀しい痛みが伴う。
そこにどうしようもないリアリティを感じてしまう僕には、それが返って心のどこかよくわからないところにすんなりと収まることができていたようで、それがせめてもの救いであった。

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左はジャンルー・シーフが撮った若きジェーン・バーキン。
右が古屋誠一の息子の背中。桜の花が散っているので、日本に来た時の写真であろうか。何だか気持ちがひりひりする感じだけど、きれい。
by tokup_nao | 2010-05-19 23:43 | 美術 | Trackback | Comments(0)
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by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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