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by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)
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モスクワ 初日から

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ロシアに入国してはや一週間、毎日すべてが驚きの連続で、かなり体力を消耗させる。モスクワ建築大学の人々の厚いご好意が、初日からパワー全快で僕らを持て成してくれている。毎日が山だ。
今日からやっとワークショップが始まった。








28日
他のグループよりも早く到着した僕は、ニキータとアリョーナに連れられてモスクワ市内を観光した。その後、ボロボロの学生寮で残りのグループと落ち合う。空港でチャイナ人に割り込みをされながら大幅に遅れてしまった。ギリギリにサンクトペテスブルグ行きの夜行列車に飛び乗る。所要時間、約八時間。夜中の0時に出発する。とても狭い寝台列車で、僕にはそれが丁寧に効率よく移送されているかのような居心地であった。僕の真下に小さな子供連れの家族が夜遅くまで絵を描いて遊んでいた。早よ寝ておくれと思いながら、すぐに寝入ってしまった。

29日
またまたボロクソなユースホステルに泊まる。日本語が堪能なガイドさんにロシアについて、サンクトペテルブルグについての説明を受けながらバスで移動する。ヴァシーリー島岬に寄り血の救世主教会に行き、エルミタージュ美術館(冬の宮殿)へ行く。世界に二番目か三番目くらいに大きい美術館で、おいしいところだけをチョイスして回った。ゴーギャンやピカソを走って駆け抜けたのが大変に残念であった。しかし広すぎるのでしかたない。なにせ全部で300以上のホールがあるのだから。

30日
夏の避暑地、ペテルゴフへ行く。郊外に位置する。雨が降りしきる中、噴水を見学し、トラップに引っ掛かり、足がとても濡れた。みんな「寒い」を連呼しながら必死に周った。とても寒い一日だった。夜にはみんなでウォッカを飲みながらパーティをした。ウォッカにはそれなりの飲み方があるようで、呼吸法さえしっかりすれば飲みやすく、楽しいお酒であることがわかった。がしかし、川合さんが一杯で綺麗にぶっ倒れた。

31日
聖イサク聖堂へ。夜にはライトアップされたエルミタージュ美術館や聖イサク聖堂を見たあと、ポリシュオーフチンスキー橋を中心に橋が跳ね上がるのを見る。橋が上がる瞬間に歓声が上がる。ただ楽しいので、僕も叫んだ。

9月1日
ペトロパーヴロフスク聖堂へ。その後、KFCで女性陣とデニスとアーニャと食事をしアレクサンドロフスキー庭園へ。まだ二十歳以下だろう酔っ払いと写真を撮ったあと、大学教授が主宰する建築エキシビションへ。ディプロマや企業の実施設計のパネルを数枚見た。建物を説明され、サンクトペテルスブルグの建築の動向を聞いた。過去にドミニク・ペローがコンペでいいところまで行ったが、敷地に合わないとのことで却下された話が印象的であった。保守的な街である。アーニャはこの街をヴェネチアと同じような街だと言う。つまり観光の為の街という。ここには近代建築がないに等しい。本当に人の為になっている建築が少ないと話す。表層的なデコレーションが多いと。でもメーリニコフやマレーヴィチやタトリンは違うのだ。そのことを話すアーニャの瞳は、一人の可愛い少女ではなく建築家の灯を秘めていた。
夜、再び輸送列車にのりモスクワに帰還する。

2日
お昼まで休憩し、アレケサンドロフスキー庭園へ。ウスペンスキー寺院の美しいスライムを眺めたあと、芝生でゴロゴロし、メーリニコフのバフメーチエフスカヤ通りのバス・ガレージに行く。1926年に建てられたものを修繕し、今は展示ができる場所として使われている。V・シューホフによる構造設計。鉄骨のトラスはとても細く今見ても新鮮であり美しい。バスを収納効率に配慮された平行四辺形の平面を持つ。建築大学の友人がスタッフらしく、中でやっている展示の美術家の説明を詳しくしてくれた。アートを水にして咲く花のような人であった。

3日
モスクワ建築大学に初入する。大学生のディプロマや修士の設計を見て回る。良くも悪くも非常に整った作品ばかりである。ドローイングの授業でも専門の先生が常にいるという環境が素晴らしかった。がしかし、プロッターやネットワーク環境は比べるとそりゃやはり芝浦程は良くはなかった。それから、屋根裏のようなサンルームのようなところに行き、そこが拠点となることを知らされた。そこでランダムでパートナーを決めた。僕が引いた紙にはデニスという名前が書いてあった。彼は親が建築家であった。

4日
設計を行う対象敷地を車で見に行った。ニキータの運転が乱暴であった。いや、ロシア人全体が乱暴な運転であった。ロシア人と日本人、それぞれが二人ペアとなり、みんな別々の敷地で設計を行う。やたら、やたらだだっ広い草むらと大きな川とビリビリと鳴る電線がある敷地。遠くに集合住宅が見える。この場所には、大きな枠組み無しでは何も始まらないことを確認する。それが今回のテーマである、新しいインフラであるモノレールである。がしかし、清水早々に、それとは別のインフラがほしいと言いだしてきた。もう設計は始まっている。夕方には八束先生も見られ、生徒と両大学の先生を交え、バーに行った。スポーツバーなのだが、店員の格好が可笑しな感じであった。がしかし、飲みの席ではあれが良いように思えた。

5日
モスクワの誕生祭。モスクワ駅から60kmに位置する有名な公園でピクニックをした。
足元が悪い草むらでバレーボールをする。夜は、ターニャの家の屋上で踊ったりしながら遠くの打ち上がる花火を見た。迫力が無かったので寂しくはならずに済んだが、普段体を動かさないのにバレーをしたりやみくもに踊っていたので、次の日体中が筋肉痛で痛かった。

6日
一日中たれぱんだのような生活をして体を休めた。がしかし、時すでに遅し。数人が風邪の症状を訴える。自分もその中の一人である。余りに暇だったので、写真を頼りに溜まった日記を書き起こす。時計の針が夜中の一時を指している。友人の不規則な寝息が時折僕の意識をそらしてくる。



メモ

1ユーロ=135円
1ルーブル=3.0157円
Commented by at 2009-09-09 17:55 x
無事なので安心しました。
Commented by tokup_nao at 2009-09-10 00:01
こっちはネット環境が予想以上に悪かったので苦労しました。心配かけました。
by tokup_nao | 2009-09-08 01:34 | 建築 | Trackback | Comments(2)