マーク・ロスコの亡霊
2009年 08月 13日
部屋の壁が、かつてこれ程重たく感じたことはあっただろうか。中央に置かれたベンチに座ったとたんに立てなくなってしまう。得体のしれない、大きな大きな外形線を持たない重たいものに包み込まれた。しかし、その質量はたった一枚の紙に塗られた絵具分にしか相当しない。
ロスコが持つ緊張感と圧迫、抑圧、支配感、そしてどこからともなくやってくる安心感。対立しながら両立する感覚がぐんぐん刺激され、停滞しながら変わり続ける。どうしようもない自然現象のようにそこに存在する。
マーク・ロスコ〔1903-70〕
彼の絵画が持つ空間体験には心底恐れ入った。たまげた。
いい絵は、考える前に感じさせてくれる。その感覚の余韻がやっとなくなってくれたときに、やっと僕は考えることを始めることができた。それほど、あの絵は、というか、あの部屋は強烈であった。
あの絵には単純なフォルムの中に見えない技術が潜んでいる。X線を照らすと人間の目では見えない色・形が浮かび上がってくるそうだ。それを確認する方法は、絵を斜めから見ることだ。正面から見たときとは違うものが出てくる。僕らは、僕らの知らない感覚で、この色を見ていたのかもしれない。
20世紀のロシア出身のアメリカの画家。抽象表現主義者。
抽象絵画を見ていつも思うのは、この定量化できない感覚を裏付ける技術が、確かにそこに存在しているということだ。結局は紙と絵具だ。ジャクソン・ポロックだって感覚で絵具を垂らしているようで、彼の中には確かに「垂らし方」という技術の構築はあったのだろうと思う。だから、ある人がポロックに嫌味として送りつけたような、五歳の男の子の落書きとはまったく別ものである。
鑑賞者にとって技術が見えなくなることが、抽象絵画には必修条件である。それが感性への扉を開く鍵となる。
そのロスコの技術の格闘・美術研究への熱心振りを裏付けるのが、自身の書いた芸術論である。
1940年代後半、自身の芸術がいまだ確立しない苦しみの中にあったロスコは、一時的に絵筆を置き、それに替えてペンを執った。そこに残されたのは、画家としてではなくオブサーバーとして造形芸術を語り、現代と古代のあいだをわたりながら記された、美術の〈リアリティ〉の系譜である。(『ロスコ 芸術のリアリティ』裏表紙より)
僕が行ったのは千葉県佐倉市の川村記念美術館の「ロスコ・ルーム」。実家から車で15分ぐらいであろうか。
そのロスコ・ルームには四面の壁すべてがロスコの絵で埋まっている。
その他にイギリス・ロンドンのテート・モダン(テート・ギャラリー)、ワシントンのフィリップス・コレクション(ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー)にロスコ・ルームがある。
これらはもともとNYのミースの代表作、シーグラムビルのレストランの壁面全面を飾るために作られた連作であった。がしかし、ロスコがレストランを訪れたときに、「これは違う」と言って全部はずしてしまったのだった。
40枚ほどあった連作はばらばらになって世界各地の3箇所の美術館に収蔵された。その一部のスタディが下の写真である。
川村美術館にはそのときのキュレーターとのやり取りであった手紙が展示されており、ロスコがどれ程慎重にこの展示を実現させようとしたか、その重みが伝わってくる。
もし、今地球上にバラバラに散らばった40点の作品を一度に集めて展示したら、どうなってしまうのか。地球上で最も深い洞穴にでも突き落とされてしまいそうだ。
やるかやらないか。その彼の探究心は底知れない。完璧でなくてはならなった。
底知れない絶望か、底知れない幸福か。どちらにしても恐そうだ。
そして、ロスコは1970年に謎の自殺を遂げた。
あの部屋で僕は、ロスコの亡霊に会ったのだと確信している。
by tokup_nao
| 2009-08-13 17:57
| 美術
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