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東日本巨大地震

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死者・不明1万人を超す 43万人が避難生活
東日本巨大地震
2011/3/15 23:16

東日本巨大地震の被害は15日、死者・行方不明者が計1万931人となった。避難生活を続ける人は約43万9千人に達している。
 警察庁によると、15日午後10時現在、死者は宮城県1619人、岩手県1193人、福島県506人など12都道県で3373人。行方不明者は岩手県3318人、福島県2220人、宮城県2011人など6県で7558人。
 人口約1万7千人の宮城県南三陸町では15日までに、約9700人が町内54カ所に分散して避難していたことが確認されたが、依然として約7000人の安否が分からない。地震直後の11日夜から燃え続けていた宮城県多賀城市のガソリンタンクは、15日午後2時半ごろ鎮火した。
 気象庁によると、東北や関東地方の被災地は15日夜から雨や雪が降り出し、18日までは真冬並みの寒さになる見通し。毛布や暖房器具が不足している避難所も多く、同庁は被災者の体調管理に注意を呼びかけている。(日本経済新聞より)


現時点の状況。これからもっと被災者の数は増えていくだろう。

日本は今、有史以降の最大の地震と戦っている。

テレビでは一日中現地の様子が流されていく。最初は映画のようでまるで現実感がなかった。
たしかに千葉でも震度5はあって、生まれて初めてこんなに揺れた。パジャマのまま家の外に飛び出して、両隣の近所に大丈夫ですかー?と声を掛け合った。パソコンを開けると世界中の友達から安否確認のメールが飛び込んできた。
それでも、テレビに流れる津波の映像には現実感がなかった。予定もすべてキャンセルになったので、テレビを一日中見てると、だんだんリアルな様子がわかってきた。泣きながら母親を探す女の子。涙の再会を果たす家族。旦那の遺体に手を合わせる女房。涙なしでは見られないくらいの悲惨な状況がわかってきた。
スーパーに行くと入場規制をかけるくらい人が押し寄せてて、食料品の棚がすっからかんになっている。買い占め行為が勃発している。ガソリンスタンドも品切れが相次いでいる。原子力発電所の放射能漏れ。関東全域に微量な放射能が検出されている。人体には影響はないらしいが、少しはあるだろう。明日にも、計画停電が我が家にも実施されるかもしれない。

3月17日に予定していた卒業式もキャンセルになった。そう、それどころではないのだ。

ジッとしていた家のカメが、地震が起きてからバタバタ動き出した。

僕にできることといったら、四月から一生懸命働くこと。まずはそれから。
街が津波によって瞬時に真っ平らになった。
人の命は戻らない。せめて、建物は何倍も良くなって戻してあげようじゃないか。
希望の建物を建てよう。

また、こういうときだからこそそれぞれが自分の言動にはしっかりしなければいけない。
内田樹さんが仰るようなふるまいを心がけたい。

2011年は日本の踏ん張りどころ。

がんばれ日本。

負けるな東北。



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by tokup_nao | 2011-03-16 00:56 | Comments(0)

tkc2011  二つの未完

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この度、トウキョウ建築コレクション2011で修士設計として出展しました。
お時間のある方は足を運んでください。
楽しそうな修士設計・論文が沢山集まっています。

トウキョウ建築コレクション2011

日時|
展示 3月1日(火)〜3月6日(日) 11:00—19:00(初日は14:00から、最終日は17:00まで)
公開審査会 3月5日(土) 10:30〜19:00
場所|
展示 代官山ヒルサイドテラス・ヒルサイドフォーラム(〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町29-10)
公開審査会 代官山ヒルサイドテラス・ヒルサイドプラザ(〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町29-10)
コメンテーター(敬称略50音順)|
伊東 豊雄/いとう・とよお
大野 秀敏/おおの・ひでとし
手塚 貴晴/てづか・たかはる
長谷川 逸子/はせがわ・いつこ
古谷 誠章/ふるや・のぶあき
山本 理顕/やまもと・りけん
六鹿 正治/ろくしか・まさはる





前回のつづきより

篠原一男にとって「未完の空間」は二つ上げられる。

一つ目が篠原一男の「未完の家」(1970)
なぜ未完の家という名前だったのか。入江経一さんはある講演会でこんなことを漏らしていた。

「そのとき、篠原先生は脊髄の病気を患っていた。重い病気らしく、この家が未完成で終わるかもしれない。がしかし、家は完成したのだった。」

生死の淵をさまよいながら住宅を設計した篠原一男。
そこには明らかに、それまでの作品と異なるものが空間が出現した。
人気がなく、得体の知れないものによって漂白された室内。
多木浩二が写真を頼まれた。それまでの写真では表現できないその空間に困惑した。
新建築には異様なくらいに場所がわからない写真が登載された。

恐らく、篠原一男のような設計を本当にしようとすると、普通の人間では精神がおかしくなってしまうのではないかと思う。そのぐらいにギリギリのところまで追い込んで空間を吐き出していた。
ある施主曰く。

「篠原さんは、部屋に入るなり電気を消した。そして、小さな電気スタンドをカチっと付けた。それから、会話が始まった。」

ここまでくると、あっちの世界に片足を突っ込んでいたのではないかとさえ思って来る。そのぐらい徹底して光と闇について考えられていたとも言えるが。


でも、そんな篠原一男でも大きな失敗をした作品がある。それが、群馬県松戸市にある日本浮世絵博物館(1982年)であった。この作品は不思議なことに作品集には載っていない。東工大の百年記念館が議論に上がることはあっても、この作品はみんな話題には上げない。
初期のころは伝統から日本の住宅を考えていた、それが中期では抽象的なボックスになり、後期のデコンの時期には複数の形を統合するようになり、またその後は少ない数の抽象的な形を扱うようになる。浮世絵美術館はそのデコンの後の時期に当たる。そもそも、伝統から出発していた篠原一男にとって、晩年にまた日本の伝統的で代表的な「浮世絵」を扱うのはしんどいものがあったのではないかと思う。また、今まで篠原一男の扱う言葉はすべて抽象的な次元に抑えられていた。芸術、伝統、無機能、カオス、都市、通り、亀裂などなど。そこで、この「浮世絵」のような具象的なものを扱うのは初めての作業であったのだ。スケッチのスタディを見る限りでは、最初は平面図を浮世絵のように扱っており、結局最後には立面に対して絵を描くように設計されたようにみえる。
完成した浮世絵美術館を訪れると、残念なことに内部と外部には大きなかい離があった。いやそもそも建築のコンセプトそものがよくわからなかった。コンクリート面とガラス面を同一面で仕上げることは、当時では斬新なことであったのかもしれない。でも、それが鑑賞する空間とは何も関係がないものであることが残念であった。もちろん、「残念であった。」で終わらすのは何も意味がない。僕らはここで、じゃあそのとき篠原一男はどうするべきであったかを考えたい。

ここに、二つ目の「未完の空間」があった。

もっと時間があればこの二つの「未完」を対比的にうまく取り入れたかった。

良いところを取り入れることと、悪いところを指摘してそれを修正して取り入れる。この二つの作業もっと意識するべきであった。建築に訪れてもそうでありたい。褒めるだけじゃなくて、いけないところを見つけて、じゃあどうするべきであったかを自問自答したい。そうすると、相互に次のステップに進むことが出来る。批評される側にとって褒められることほど退屈なことない。







ヒントがほしいと思っていると、答えが思いつくかも・・・。
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by tokup_nao | 2011-03-02 16:50 | Comments(4)


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by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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