カテゴリ:建築( 98 )

モスクワ 初日から

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ロシアに入国してはや一週間、毎日すべてが驚きの連続で、かなり体力を消耗させる。モスクワ建築大学の人々の厚いご好意が、初日からパワー全快で僕らを持て成してくれている。毎日が山だ。
今日からやっとワークショップが始まった。

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by tokup_nao | 2009-09-08 01:34 | 建築 | Comments(2)

サロン@ソヴィエト・アヴァンギャルド

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ジュンヤに誘われ、経堂駅から徒歩五分のとこにある、日ソ会館で行われるソヴィエト・アヴァンギャルドのサロンに参加する。
講師は川上玄という75歳のお祖父さんだった。そこのサロンはロシアの文化に興味がある人や元々建築をやっていた定年退職したお祖父さん達の会であった。そこに若者が入り込んでしまった。500円の参加費が必要なのだが、「学生さんかい?^^」とお婆ちゃんに聞かれ、そうですと答えると、大変歓迎されて無料で爺さんだらけのサロンに参加した。
玄さんが事前に作成したA3三枚分のレジュメを渡され、プロジェクターを見ながらソヴィエト・アヴァンギャルドの講義が始まった。題目は『ソヴィエト・アヴァンギャルド建築、その成立と展開~合理主義と構成主義~』。

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by tokup_nao | 2009-07-17 01:26 | 建築 | Comments(4)

神奈川県工科大学KAIT工房

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神奈川県工科大学KAIT工房
設計:石上純也

「曖昧な空間」が本当に曖昧なのか疑っていたけれど、行ってみるとやはりわかってしまい感じてしまう。ああ。新しい空間との実感と出会いと共に、どこか記憶の隅にあったようなところへ連れ去る。
もっと可愛い空間かと思ったら、なかなかビシッとしている。天井高は4000~4600。1/75のこう配屋根は内部にいても殆どわからない。わずかに歪んだ平面も意識してもわからない。意識の中では感じとれないけど、恐らくこれは、無意識の内に感じている身体感覚に作用しているのだと思う。それが「曖昧な空間」への招待状となる。僕は、その無自覚にばら撒かれたような、星座のように結ばれているはずの空間の中をパラパラと歩き、終わりも始まりもないところを浮遊する。どれもが同じに見え、どこもが違う場所と感じているその場所を浮遊する。
設計者は言う。
「何となくうまくいっている、というようなすごく柔らかい結論のぼんやりしたまとまりの空間です。建築家の意思で意図的に空間をつくり出しているにもかかわらず、何で決まっているのかわからない。構造なのか、機能なのか、意匠なのか、その根拠の境界さえあいまいになるとよいと考えていました。」(新建築2008/03/p72)


石上さんの文章を読んでいると、ここまで白状してしまうのかと思うぐらいにストレートで、逆に度肝を抜かされる。とてもピュアで。
学生のときは先生に理解されずに成績は良くなかったと聞く。
本当は、もっと内的で他者からは理解しにくいことを考えているのだろうか。
それは星座のスケッチから十分伺わせられる。この曖昧な空間をつくるために、はたから見て実戦的と思えるかいなかよくわからない操作と調整が重ねられ、曖昧な結論に達する。そのプロセスでさえ僕にはまだ到底理解を越えるものがあるわけだけれども、しかし、どんなことをしたって建築家は最後には建築物をつくる。その建築を創った結果、そこを経験することという、この一点にだけ、この建築の命運が問われることになった。それが、石上さんの言う「リアリティ」であり、それ以上でもないしそれ以下でもない答えなんだろう。現代考えなければならないことに対する答えだけではなく、それは石上さん本人に向けた答えでもあった。

石上さんのリアリティに顔面パンチを食らった僕は、しっぽをまいて工房を後にしました。いやしかし、夜の工房もまた一味違いそうで見てみたいと思う。また今度。

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by tokup_nao | 2009-07-03 00:56 | 建築 | Comments(6)

文京スポーツセンター

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文京スポーツセンター
設計:大谷幸夫

避難場所として使われる公園で、地域の共有のモニュメントとして設計された建物。
厳つい形だから地域の景観をぶち壊してるんだろう、と思っていたけど全くそんなことがなくて驚いた。みんなしっくりと使ってしまっていた。あのごつごつした鋭利な塔はキマッていた。木が建物を囲んでいることもあって、近づいて意識的に見上げなければわからなかった。初めて見た僕にはとても不思議な建物に見えるが、いつも使っている人には可愛いアイコンとしてすぐに育ってしまうようだ。エッフェル塔も建てられた当時は罵声を浴びせられていたが、今はパリの大事なアイコンだ。
中に入るとガツンと縦動線を支える柱が屋上から地下に突き刺さっている。それと同時に上部の三角窓からも地下まで光が突き射さる。つまり、大黒柱(大黒光?)がこの建物にはあって、その周りと上下を回遊しながら使っていく。つまりこの建物では、これほどの他要素の形体を収束させる一本の線が必要だったわけだ。それを中心にして各シーンが木の枝のように放射状に広がっていく。その中心に位置する階段は暗くて劇的でそこを抜け出すとそれぞれの光に導かれる。
複雑でありながらシンプルなプロセス。予期できない枝の先に好感がもてる。
ポストモダンでの一つの解答だよこれは。

そういえば千葉市美術館・中央区役所も大谷幸夫だったけど、あれは如何せん訪れる気を起こさせない・・・。そもそも千葉市民は千葉市美術館の存在をあまり知らない。立地が非常に悪い。ま、行くと空いてていいんだけどね。

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by tokup_nao | 2009-06-07 22:38 | 建築 | Comments(6)

TARO NASU

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TARO NASU
設計:青木淳

馬喰町に建つ古いビルの改修。いかつい窓枠に宙を舞うRCの梁。なんだか元々の建物が怪しさ満点のビルでした。ファサードの大理石の目地がずれていて、高級な大理石が綺麗に収まっていないのが、何やらアイロニカルな表情を持つ。歩いていると、突然白い塊がビルに突っ込まれているような。ちょび出た配管を尻目に、そこにズルズルと引きずり込まれていきました。
中の間取りは変。使いにくさを面白さに変えている。事務所が細長く、ギャラリーは天井が高いため窮屈には意外と感じない。真中にソファーでも置いてもいいじゃないかと思うくらいに。左右対称に近いためか、並んだラーメンの柱がとても象徴的な効果を発揮している。梁との接合部の斜めになっている部分が可愛らしくさえ感じる。
階段の独特の蹴上げと踏面からのゲージラインから導き出されたピン接合の鉄骨とその灰色もいい。地下への挿入口としてしっくりくる。

このときはジョージェ・オズボルト(Djordje Ozbolt)の展示がやっていました。ダーク・ロマンティシズムと呼ばれる彼の作品は、ハイカルチャーとロウカルチャーを対等に作品の要素として扱う。とても知的でふざけた絵。彼が吐き出す悩ましげな矛盾と混沌は、妙にこの空間に、もっと言えば、この時代にしっくりきていた。

古い建物の各要素のボキャブラリーを再統合して、どこにデザインを持ってくるのか入念にスタディされた知的な面白みがある建物。気にしなければ気にならない。よく見ると、噛めば噛むほど味が出てくる。

川越の設計も既存をこちらの手のうちに持ってきたい。こっちこーぃ。

このビルにはTARONASUの他にも三つほどギャラリーやおされカフェが入ってます。また行きたい。

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by tokup_nao | 2009-06-05 01:50 | 建築 | Comments(0)

青森県立美術館~ゴールデンウィークの風に共に~

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青森県立美術館
設計:青木淳

これで二度目。この前行ったときは雪が降りしきる寒い日。白い地面から白い塊が出てきた様な印象だったけど、今回は真逆でした。空から降ってきたかのごとく、緑の大地に忽然と現れる白い塊。
外部から遮断された地下のギャラリーは季節によっては変わることはありませんが、今回行ってみて実感したのはギャラリー以外の外部と内部の境界が楽しい。全体を統合するようなダイアグラムがある一方で、それから逸脱するようなデザインがちらほら見え隠れんぼするのがいい。でも、振り返って感じれば、ああ、これも全体の一部になりえるのかもなと思ったり。
ちょっと残念だったのが、ファサードに出てくる丸い窓の変なスラブが出ている箇所。あと、外壁のレンガパネルの継ぎ目が汚れによって見えてしまっていること。もし、見せているのであれば中途半端すぎる。
ギャラリーは土の中、白い箱の中と交互に入れられて、途中、ちょっと単調にも感じた。もっと遊びがほしいと思う一方で安定感あるなとも思う。どっちや。

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by tokup_nao | 2009-05-11 23:30 | 建築 | Comments(2)

National Museum of African American History and Culture

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2015年にワシントンに建つ、アフリカ系アメリカ人国際歴史文化美術館の設計者が決まりました。
デヴィット・アジャイ(David Adjaye)でした。

Architects Chosen for Black History Museum

アジャイはアフリカのタンザニア出身の世界ではほとんど始めてのアフリカ出身の世界的有名な建築家。彼以上の適任者がどこにいると言うのか・・・。

アジャイは言う。
“It’s for us a deeply spiritual and powerful culture.”

アジャイの設計した建物は単純な幾何学に収まり、色も古代の遺跡を彷彿させるよう。
近づくと穴が無数に開いた模様のテクスチャーが現れ、その重たさは消え去るようだ。

オバマの波にも乗ってアジャイがこれからもっと活躍しそうだ。

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by tokup_nao | 2009-04-16 11:39 | 建築 | Comments(0)

第25回新建築賞

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受賞者講演会に行ってきました。
建築家の登竜門と呼ばれる新人賞です。今年は北山さんと貝島さんが審査員でした。
選ばれたものは若松均の「HI-ROOMS 明大前A/路線際の長屋」とTNAの「カタガラスの家」だった。

d0086747_1515976.jpgHI-ROOMSは線路脇にあることもあって、外部の騒音やから身を守るような閉じた建築になっている。住吉の長屋のような閉じた中で開く形式を持つ。一方、TNAのはその名の通りカタガラスの覆われ外部に積極的に開こうとする形式。結果的に外部環境に対しては対称的な二つの作品が選ばれた。でもどちらも、北山さんの言葉を借りれば。「アイコニック」な建築ではないところは共通していた。どちらもシュールな装いで至って周りから際立つようなことはしていないとのこと。

d0086747_1524096.jpgでも、それは昼間の話だ。夜になるとカタガラスの家は、突如町に現れた大きな行燈かのように周りをボワッと照らし出す。ほんわか綺麗な装いだけど、やっていることは大胆で、電気が付く度に周りにその生活の存在を証言していく。ああ、いるんだなと確かにわかるけど、それが周りとのコミュニケーションを産もうとしているかと聞かれたら、それはないと思う。かえって気まずい。カタガラスが床下から天井まで立ち上がって、光が均一に内部に入ってくる様子は吉田五十八の障子みたいで綺麗だと思う。内部空間もステップを生活の一部として使いながら空間をづるづる繋げているのも楽しいと思う。でも、外部空間にはだいぶ冷たい建築ではないだろうか。
そういう意味では、外部環境との関係を持たない建築としてこの二つの作品は対照的ではなく、実は本質的には同じだ。
70年代の住宅ではないけど、都市から遮断して住宅をつくる。でも、遮断の仕方が70年代とは全く違う。ガラス張りで、ガンガン生活スタイルを見せながら、周辺との関係性を絶っている。
妹島さんの森山邸、HOUSE-A、乾さんのアパートメントⅠ。そして今回のカタガラスの家。それらのスーパーオープンスタイル建築は積極的に周りにアプローチし過ぎるが故に、周りがドン引きしちゃってかえって関係が生まれにくいということがある。隣の建物と比べたときにオープンの度合に差があるのがそもそもいけないと思う。つまり、町全体がすべてハイパーオープン建築で埋まったらいい。そうすれば新しい人間関係から生まれる生活スタイルができると思う。市の法律で決めちゃうとか、この地域では開口率何%以上で、自然採光がこの数値以上必要ですと。でも逆に、オープン建築で埋まった町を想像すると、それはそれで誰もが開いた生活を虐げられているようで、その光景はさぞ不気味に映るかもしれない。

ああ、もしかしたら、東京はガルダイアとは真逆の、異様なまでに開いてしまった都市を構築し始めているか・・・。
そこにはアイコニックなものは存在せず、無印で良品な建築が、ただただ、立ち並ぶ。
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by tokup_nao | 2009-04-14 01:51 | 建築 | Comments(6)

宮城スタジアム

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せんだいに行った時についでに松島へ行って、その帰りに車の同乗者の反対を押し切って見てきました。

阿部仁史設計の宮城スタジアム

団地から見るとただ丘があるように優しく見える。
でも、裏に回ってみるとズゴン!ドスンドスーーン!!と遺跡ようなものが立ちはだかる。
形容しがたい形もあったり。何かを真似したような形でもなく、自然にできたとも言えない形。心に入る隙を持っているようなそれとも見える。

誰もいない夕方に行ったこともあって、赤い夕日がガラスに反射して、太い太い柱が立ち並び、柱が高くなるにつれて自分が小さくなっていき、やって来たのに誰かに連れてこられたような、ただならぬ雰囲気。

スタジアムの緊張感が高められるいい建築だな。


同乗者も気に入ってくれてたからよかったw
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by tokup_nao | 2009-04-04 02:14 | 建築 | Comments(4)

静かな建築

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今月の新建築に搭載された、田園調布に建つ店舗付き集合住宅。

この建物が立つ前には宮脇檀さんのVANFANが建っていて、当時はアイビーファッションに身を包んだ若者でかなり賑わっていたらしい、文化の発祥地として。
そんなとこに今度は堀部安嗣さんが建てることになる。ケヤキを残して。
堀部さんの師は益子さんで、益子さんの師は吉村順三。宮脇さんの師は吉村順三だから、うむ、何かが知らず知らず繋がり継承されているんだね。

バス停の前の待合所がそのまま建物まで延長している。
中の店舗には本をたくさん出している料理研究家(行ったら本人に会えました)の食器売り場だったり、料理教室だったり、肉屋さんだったりと、料理系で統一してました。

田園調布が時を経て、若者の建物から大人の建物になってしまったようです。
ちょろちょろと水が流れ、光の陰影を醸し出す共有廊下と度々人が乗り降りするバス停。その間の大きなケヤキが風でザワザワと揺れる。

この町の優しい感じが静かなデザインにマッチしててよかった。

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こちらは二軒挟んだ隣に建つ集合住宅。2006施工。

施主は同じです。テクスチャーが同じなのですぐにわかります。
中庭を囲み、お互いの生活の断片をちょろちょろと見せながら過ごす。
最初の集合住宅でも、各住宅が共用廊下側に土間を持っていてそれが開かれている。お互いの生活(断片ではあるが)を見せるってかなり度胸がいるけど、強いプログラムをこんなにふんわりとデザインされてしまうと・・・、あ、案外行けるかも?住めちゃうかも?となってしまう・・・。
この中庭では火と水と緑を共有しながら記憶を刻んでいくようです。

なんだか堀部さんの建築を見ているとルイス・カーンが好きなんだろうなーと思ってしまいます。

そのイメージもあり、堀部さんは特別なことよりも普遍的なことに興味があるんだな。カーンが建った瞬間に廃墟と言われたように。うん。たぶん。普遍的というと、古いような目立たない感じのデザインを思うけど、でもそこにはマイナスなイメージではなくて、むしろその普遍性がそこを訪れていた人の記憶をそっと抱えてくれそうな感じがする。静かで芯が強い建築とでも言うのかな。あー何て言うんだろう・・・。

以下は堀部さんの言葉。

記憶のかけらとは目に見える具体的な物質や記念的なものではなく,誰もが共感し合える何気ないものだ。そしてどんな時代でも変わらず人の肉体に存在しているものだ。そこに私は新しく建築を創造する確からしさを感じる。
町、風景、そして建築とはそんな眠っている記憶のかけらを呼び覚まし、つなぎ合わせていくことのできる場所でなくてはならない。そして人と人とが自己の存在と居場所を確認し合うことが可能な、未来を肯定する場所でなくてはならない。

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by tokup_nao | 2009-02-19 19:42 | 建築 | Comments(0)


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by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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