カテゴリ:コラム( 4 )

離れることもなく、混ざることもなく。

やっと、先週修理に出していた自転車が帰ってきた。

ペダルの軸がいかれて、かなりの致命傷だったらしい。ペダルの軸といったらもう自転車の心臓部のようなものだ。

危うく廃車になるとこだったが、なんとか持ちこたえて、生還してくれた。

かれこれ、修理をし続けてもう七年くらい乗っている。ほんとご苦労様。

修理の醍醐味は、戻ってきたときに「ああ!なんか違う!」ってなることだ。

毎日乗っているものだから、本人にしかわからない些細な違いが、乗ったときに全身を突き抜ける。

もっといい自転車はたくさんあるけど、こんなボロでも一応楽しみはあるし、愛着も湧いてしまう。人とものが織りなす積み重ねた時間は、なにものにも代え難い。

でもその一方で、直らなくてもよかったかも、と思う自分がいた。

いや、でもほんと可愛いチャリなんだよ、こいつは。

でもいっそのこと、地雷でも踏んで粉々に粉砕したら、とか考えちゃう。溶解炉に落っこちて、ターミネーターのような終わりも悪くない。

そう、正反対の気持ちが僕の中で共存してしまっている。

これはいったい、なんなんだろうか。

存命させたい気持ちと壊したい気持ちが、ゆらゆらと僕の中を行ったり来たりしている。

それはまるで、アイスカフェオレのミルクとコーヒーが上下に淡い境界をもって、絶妙なバランスで一つの形をなしている感じに近い。

ひとたび、ストローですくってしまいでもしたら、そのバランスは永遠に取り戻すことはできない。

対立するのではなく、一緒のいいバランスになって、ゆらゆらとしている。ゆらゆらと違うものが共存してしまっている。

でもこれは、この自転車に限ったことでもないのかもしれない。

時間を掛けて作ったガンダムを爆竹で吹っ飛ばしたり、演奏が終わって破壊で締めくくるバンドマン、廃墟萌えな建築家や、フロイトがいう『エロス』と『タナトス』、燃やされてしまった金閣寺。スモークオンザウォーター。

はたまた、創造と戦争を繰り返す人類そのものであったり。

対立するでもなく、矛盾してるわけでもなく、不思議に同時に存在してしまったゆらゆらしたものが、世の中にはたくさんありそうだ。

このゆらゆらは、ときに人を惹きつけて離さない。

くそう、この自転車も、しっかりとその世界の一部であり続けている。

トンッ!、と無造作にテーブルの上に置かれたアイスカフェオレで、僕は一気に現実に引き戻された。

外を見やると、道行く人々が傘を差し始めていた。

少し濡れた僕の自転車は、何か言いたげに、日の光を受けてキラキラと光っている。

「先に飲んでいいよ。」 

と友人が言うと、喉が渇いていたが、

「いや、大丈夫。待ってるよ。」 といった。

この日ばかりは、このゆらゆらとした境界を、もう少し眺めていたかったから。
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by tokup_nao | 2013-05-31 02:00 | コラム | Comments(0)

ジャパーーーン!!

終電で新宿駅からとぼとぼ歩いて帰ってたら、都庁辺りで前に歩いている外国人が話しかけてきた。

「商店街はどこですか。」

とても疲れているようで、表情は虚ろだ。

もしや、天下の都庁の足元でスリでもすんのかな、と思いつつ瞬時に自分の財布が鞄の奥にあることを頭の中で確認した。時刻は夜中の1時。道も暗いし周りに人はいない。ちょっと怖い状況。

歩道に地図があったので、現在地と商店街の場所を教えてあげて、帰り方向が同じだったので、商店街まで一緒に歩くことになった。すごくいやだな、と思いつつ。

歩いてる途中に襲われるのかな、と警戒しながら、なるべく背後に回られないように注意しながら。

無言だと襲われる気がして、僕は一生懸命会話をして、こいついいやつじゃん!と思わせる作戦に出ることにした。

色々質問をぶつけると、彼はインドのデリー出身で、今はインド料理屋さんをやっているとのことだった。

「ところで、商店街にいって何を探しているの?」と聞くと、

「寝るところを探している。どこかいい寝るところをないかな。」と。

あー、じゃあホテルがあるよというと、ホテルは高いからだめだと。

じゃあ、中央公園だったら寝てる人がたくさんいるよ。(ホームレスだけど)というと。

虚ろな表情はもっと虚ろになった。

結局、彼のリクエストでマクドナルドがいいね。というところで落ち着いて、家の近くのマックまで案内してあげた。

その間、僕は終始襲われることを警戒しながら。

結局襲われることはなく、別れ際に初めて彼からちゃんと質問をしてきた。

「あなたは、どこの国の出身ですか?」

「え・・・・・。」

一瞬止まり、息を吸い込み、声高らかに訴えた。

「ジャパーーーン!!」

いやどうみてもこの顔は日本人だよ!韓国人じゃないよ!精一杯、ジャパーン!!と言ってやりました。

そうか、警戒していたのは彼の方だったのかもしれない。

なんだか、歩道の電燈がいつもより眩しかった。
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by tokup_nao | 2013-05-25 17:36 | コラム | Comments(0)

波とデザインについて

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海岸沿いに大きな波が立つと、ある人は波に乗って滑り出し、またある人は波に巻き込まれ溺れそうになったりする。

誰かが溺れてしまうような波は最初からない方がいいと言って、防波堤ができてしまった。
はたまた、これ以上波が海岸沿いの砂をさらって行かないようにと。

あるとき誰かがデザインした建物が今までの風景を文化を壊しているように感じた。
でも、その建物では新しい活動と、もしかしたらその街で新しい文化になるんじゃないか、と思えることが起きそうな気配。

デザインという波はいつも、誰かを溺れさせたり、誰かを軽やかにサーフさせて行く。

波音建てずに新しい建物ができたら、誰も溺れることはない。と同時に、誰かを魅了する波は立たない。
いい波はいつも危険な香りを持っている。

残そうとするのでなく、残っていくのが文化だとしたら、文化は衝突して更新されていく。


京都駅をつくった建築家、原宏司が言う。

「いい建物ほど、賛成と反対が半分づつになる。」

100%綺麗なものこそがいいものとは言い切れない。ピカソのゲルニカのような、岡本太郎の太陽の塔のような。それらは時代に鼓動を与える魅力を持っている。気付いたときには、僕らの時代のダイナミズムを体験できるようなものがある。だって、いつでもそうでしょ。みんな現代をドラマティックに感じていたい。

情報が莫大に入ってくる時代に生きる人々にとって大事なことは、波に乗ることの感動を忘れないこと。
波がどこに発生して、どのくらいの高さで、水温は何℃あって・・・。知ることはいくらでもできる。でも、体験して感動することは、乗った人にしかわからない。

デザインこそ、そこを忘れてはいけない。
感動をつくり続けることこそ、現代にとってさらに大事な使命となっている。

波の感動は溺れるというリスクが付きまとう。
リスクなしに感動は得られない。

さあ、勇気をもってつくるしかない!!




と同時に、いつかサーフィン始めたい・・・。

<おまけ> 最近読んだ本
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by tokup_nao | 2012-06-20 00:34 | コラム | Comments(0)

ひたひたと

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正義のほとんどが人を狂気においやる
戦争が起きるとき、両国が正義の名の元におっぱじめる
国の数だけ正義があるからしかたない

だから良いことほど心を魅了するほど、とても怖い
でもそうなったらもう本人はそう信じているので、誰にも止められない
信じることは良いことなので、止められない
壊れるまで止められない

もちろん個々の人間もしかり
それぞれの常識が、他人から見れば狂気なんじゃないか、というところまで追い詰めていく




この絵は近藤聡乃さんの絵の模写
KiyaKiyaという鉛筆で書かれた作品集から

怖い絵をたくさん書く人なんだけど、ぼくは鉛筆でだらだらっと書いたような絵がなにげないものがすき

日常の中で、こたつに入りながらゴロゴロして、だらだらと妄想を膨らましていった絵のような気楽さ
でも、その中にもちょっとドキっとするものが放り込まれている

小津安二郎がカメラの位置を床上三十センチまで下げて、その日常を何気なく撮っているような
そのリアリティが胸にぐぐっと入り込んでくるようなドキドキ感


日常から非日常への扉は、ふとした瞬間に開かれる


妙喜俺のにじり口から中に入った時の感じを、もっと卑近な表現をとるなら、背すじの中へサッと何ものかを受けた感じである。私はゾクゾクとして全く我を忘れた。(堀口捨己『利休の茶室』)

入り込んだときには、もうなかなか戻れない
利休が秀吉に切腹させられたように
もう戻れないところまで行ってしまうことがある

それでいいんだと思う


今、磯崎新の『栖十二』を読んでいる。あと三つくらいで読み終わる。いま読んでいるところはレイクショア・ドライブアパートメントのところ。コルビジェは窓から見える風景や、その近くのベンチなどをふんだんにデザインしていたけど、レイクショアでは均一なガラスが並ぶだけで、じゃあいったいミースはここで何をデザインしたのか??
という言葉の続きを読むところです。気になりますね・・・。答えはなんでしょう。

栖十二 (住まい学大系)

答えは次回の投稿で。もしくは読んでくれ。
それにしても、磯崎新の建築を読み込む深さははんぱない。ただただ、感服してしまう。
若い建築家にも、批評家でもいいけど、磯崎新のような本を書く人がいてほしい。
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by tokup_nao | 2012-03-01 02:46 | コラム | Comments(0)


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by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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