ART IS FOR THE SPIRIT

森美術館にしてもサントリー美術館にしてもグローバル化に行き着く先の反省が少しずついい形に出てきたのかなと思う。というのも、森美術館のコレクションはアジアのアートを特化するという方向性をもっている。僕はこれがすごく気に入ってて、東京には海外のものばかりで外国の人がアジアの代表国として日本に来たときに愕然としてしまう。しかも、様々な国の様式が入り交じりながら混在している。もうアジアの混乱を見に来たようなものになってしまうわけ。その混乱具合はそれはそれで面白いと言う人もいるけれども、もっとその混乱も含めアジアの総括としての美術館があるといいと思う。サントリー美術館は名前はダサいけど隈さん設計の綺麗な建物だし、日本をテーマにした美術館がやっと東京にできたかと。国立新美術館はNationalgalleryなのに母国の作品の常設展がない。ないはずがないのにない。公募展のみで成り立つNationalgallery(悲)。ポンピデューセンターにフランスの作品がないようなものだよ。日本の歴史にはアートがありませんと世界に宣言しなくてもいいのに。でも本当は立派に存在してたし今でもしてる。日本画や漆などの伝統工芸の他にも俳句、茶道、華道、剣道、武士道と生活に関わるものを何でも芸術にまで昇華してしまう感性があるのに。なので新美術館は黒川さんの円錐も好きになれないしあんま行ってません。

d0086747_25703.jpg本題に入ると、今やっている森美術館の展示会に行ってきました。
スイスに拠点を置く金融機関UBSの現代美術コレクションの展示でした。
会場は「ポートレイトから身体へ」「造られた世界」「ランドスケープから宇宙へ」の三部構成になっていて、進むにつれてスケールが次第に大きくなっていきます。

トーマス・ルフのパスポート写真みたいなポートレイトはサイズが大きいだけでこれだけ抽象的になってしまうのかと驚いた。彼がいうように「写真はそれ自体のリアリティを持ち、自主的な存在となる」の意味が体験でわかる。
チャック・クロースの《セルフポートレイト》は大き過ぎるくらいに書くことで細部に目を引きつかせてグリッドひとつひとつ小宇宙のような塊の集合体としてのポートレイトを認識させる。所詮人間は総体としてのその人を見て認識しているんだというかのように。人が見ることができないミクロなレベルなまで見れたら宇宙に繋がってるんだと。
シュテファン・バルケンホールの《柱像:男》《柱像:女》やフィッシュリ&ヴァイスの白い女性の作品はすごく平凡で、何もなさそうな人。何もないけど存在感がる。それは人だからであり、人間性の象徴でもあるような。『潜水服は蝶の夢を見る』っていう映画で「人間がすべてを無くしたときに人間性にすがって生きるんだ」と言ってたのと同じようなものを感じる。この作品は静かに力強い。
ツァオ・フェイやチェン・ジエレンの動画は経済至上主義の批判がもろに出てて「日本人の責任で中国は!・・・」みたいなことになっててちょっと心苦しかった。でももちろん映像としては綺麗。アンドレアス・グルスキーも《99セント》もそうだ。オスカル・ムニョスの消え続ける人の顔の絵の動画は生まれては死んでいく人。桜散る美しさ。

ポートレイトだからその人の個性だったり躍動感がテーマと思いきや見事に裏切ってくれる。それと同様に建物を抽象化するトーマス・フレヒトナーの《寒冷》やサラ・モリス、ジュリアン・オピー、ゲルハルト・リヒターのようなものもあった。でも建物に残る人の存在感を感じさせるダグ・ホールやカンディダ・へーファーの写真も静かに美しい。
それとは逆に宮本隆司の阪神大震災でぶっ壊れた建物の写真の数々は荒々しく激しい。これを美しいといってしまうと被災者の方々に反感を食らってしまうかもしれないけど。でも正直なとこ、壊れかけの建物を見るとわくわくしてしまう。ビルの解体現場があると衝立の隙間から除くし、「戦場のピアニスト」に出てくるような壊れ果てた町を見ると変な感動をするし。たぶん、人間にはぶっ壊れるときの感動みたいなのがあるんだな。破壊願望みたいな。その考えをさらに後押しするのが、畠山直哉の《プラスト》だったりする。


こんな感じでいろんな種のアーティストがいるので誰かしらとピントが合うはず。是非足を運んでみては。
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by tokup_nao | 2008-02-29 01:24 | 美術 | Comments(2)
Commented by jon at 2008-03-01 23:50 x
俺はチェッククロースの作品が印象的だったな~
個としてみる視点(大きな枠組みとしてか細部としてか)が変わることでそのもの自体の物の見え方がかわってくる
確かに結局、物の総体としての印象が強すぎていろんなことが見えなくなってるのが現状で内部までみろ!ってどつかれたかんじだったな
その横にあった、ピクセルっていう角砂糖とコーヒーでできた作品も印象的だった

Commented by tokup_nao at 2008-03-04 01:50
今回行ってみて本の作品集では全然わからないなと実感したよ。
シャッククロースはまさにそう。あのサイズのキャンバスにやられたわ。

オスカルムニョスの角砂糖は危険な匂いがしたわ。
コロンビア出身のアーティストで母国を
「日常の一部分として戦争えを受け入れてしまった社会」と言っている。
コロンビアだけじゃなくそういう国は南の世界に沢山あるんだよね。

世界中でその代弁者となるアーティストは勇敢だなと思いましたよ。


tokup.nao@gmail.com


by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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