美術館の枠を超えて

また行きました。

20世紀美術探検

抽象的な絵とか なんも変哲もなさそうな写真や静物画

たくさん見てきた。


なにか意味があるのじゃないかと思って自分なりに考えて、友達に話すとすげーおもしろいことに気づいた。
やっと気づいた。

その作品を作った人はもちろん何らかのメッセージをその作品に込めているんだろう

でも必ずしもそのメッセージに一致させる必要はないし、作者が一つのメッセージ収束させたいわけでもない。

政治的だったり、手法論的に明確な主張があってそれを作品にこめることもあるけど。

でもある作品が作者から離れたときにもう作者とは無関係に突っ走ってしまう。それでいいんです。

だから、時代を超えてあるものが再読されたときに価値が出てくるときなんて多々ある。状況によって価値が変わっていくのもおもしろい。
逆に、瞬時として価値を失ってしまうことも。ユダヤ人の作品は全部焼き払えーみたいな。

現代人としての枠を超えて、価値ある作品を見出せることが出来たら開拓者になれるだろう。
丹下健三は1961年の時点で「携帯電話」を言及してたから驚きだーよ。


ダリはいう
私の絵を理解してもらおうだって?
書き手である私自身さえ、理解できないというのに?
だが、理解不能だから、その絵の確たる意味がないということにはならない。
逆に、だからこそ意味では一般にとらえられない、体系的で一貫した複雑且つ深く激しい意味を成し得るのである。          --1934--


何はともあれ人に激しく心をドライブさせる作品はよい作品であるっていうことですな。
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by tokup_nao | 2007-02-28 03:13 | 美術 | Comments(2)
Commented by ノグチ at 2007-03-01 08:21 x
うん、俺は文学だけがもしかしたらそうなのかなって思ってたんだけど、芸術の種類によるんじゃなくて、もしかしたら作品そのものによるのかなって最近思います。でもやっぱり解釈された時点で初めて作品が完成するって考えは絶対捨てれなくなってます苦笑 音楽にしろ。というより音楽から導いたわけだけれども。別にすべてがそうあるべきだとは言わないけど、そういう姿勢でいた方が、可能性をできるだけすくうことができるのかもしれません。だからみんな正解。あとは好みの問題。間違いはナシ。
Commented by tokup_nao at 2007-03-03 07:56
そうなんす。椅子にしろ座られて人がいいなこれって思ったときに完成するのかもしれない。料理もそう。なんにでも言えそう。
様々な解釈を拒否したら世界は永遠に平和にならないのさ。


tokup.nao@gmail.com


by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)

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