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by 徳田直之 (Naoyuki Tokuda)
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上原通りの住宅を訪れて

設計:篠原一男

 近頃の住宅はどこかファションのようですがすがしくて鼻につく。とても綺麗でありつつ、その一方で何も考えさせてくれない恐さが潜んでいる気がする。気づいたら取りこまれていたような得体の知れない魅力があるのだ。それが好いか悪いかということはわからないが、とても今っぽいと思う。SNSっぽい建築が増えてきた。
 でも、こんな時代だからこそ一歩引いて自分の生活と真剣に対話できる住宅が必要だと思う。まずは、「精神」と「身体」をぶるぶると震わせる建築に会いに行けばいい。

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穏やかな風に舞い霧のような小雨が降る中、代々木上原までやってきた。騒々しい都心の近い割にはここら一帯がどことなく落ち着いていているように感じるのは、東方の代々木公園と代々木八幡宮があるフィルターのような役目をしていからかもしれない。そこに高級住宅街と、外国人向けの高級賃貸住宅も含む各種が丁度よく収まっている。
 代々木上原駅から歩いていくこと数分、突如上から二つの目がこちらを見下ろしている。篠原一男の上原通りの住宅だ。しかも、ウィンクしてるし。
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 この建物は三つの構造システムが絡み合ってできている。①キャンティレバーのヴォリュームを支えるための直交する方杖を持った2層分のRCのラーメン構造システム。②2階の木造スラブ。③屋上の折版ヴォールトのS造。これらが三つがぶつかり合いながら一つの住宅が現れ、それを篠原一男は「野生」という言葉で表している。1976年の当時、その野生という言葉はレクロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」から引き出されたものであった。

 野生の思考とは、ありあわせの素材を用いて入り用の物を作る場合に例えられ、器用人の思考様式と特徴づけられる。それは眼前の事象を考える際に、その事象と別の事象との間にある関係に注目し、それと類似する関係性を有す別の事象群を連想しつつそれらを再構成する。そして、それらの事象に異なる意味を与え、新しい「構造」を生み出せる。それは理論と仮説を通じて考える科学的思考と基本的に同質なもので、両者の相違について科学的思考が用いるものが「概念」であるのに対して、野生の思考が用いるものは「記号」であるとレヴィ・ストロースは考えた。(wikipediaより)

 つまり、一つ一つの構造は科学的に乗っ取っているいるものの、それぞれを接続する理論は非常に感覚的にブリコラージュされたのがこの家である。上にくっつくヴォールトの部屋も当初は計画はしておらず、子供ができると聞いて設計途中にあとからエイヤとくっつけたものであった。その証拠に初期のスケッチではヴォールトの部屋は存在していない。
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                                            篠原一男 TOTO出版 より(1996/07)


 行き当たりばったりで変化する設計と、ゴリゴリと机が鳴り響きそうなこの濃いスケッチ。この建築が生まれるその瞬間こそ、まさに野生的だったと言える。RCの柱に耳を当ててみると、篠原の脈動がドックンドックン聞こえてきそうな獣のような住宅だ。
 元々、この家は写真家・大辻清司が施主としてつくられた。当時は一階がアトリエとして使われ、上部は子供部屋として使われた。その部屋は人気が高く上の子供が出家するたびに順番に使われていった。その後、大辻清司は亡くなり、妻が一人で暮らしていた。現在では三男が子供二人と妻を引き連れて戻り、祖母と一緒に仲睦まじく暮らしている。
 実際に旦那さんと話しながらこの家の歴史を聞いているだけでも、この奇妙な外観の割にはどんな家族形態でも収容できるこの家の耐久力に驚いた。もう築35年になる。その間、部屋の間口が狭過ぎて何度も頭をぶつけたり、階段が急過ぎて滑り止めもなく転げ落ちて骨がバキバキに折れたりするのも、篠原がつくった住宅ならではの御愛嬌というものだ。住宅ができてからの建築家と住人の武勇伝は未だに色あせることのない歴史として続いている。この空間には住人も建築家も一歩も引かない熱さが漂っている。
 住宅内部に入ると、獣の構造(構想)とリアルな生活がダイナミックにクロスする瞬間に立ち会うことができる。
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 暗いキャンティレバーの下を通過していくと二階玄関に入る為の階段が現れる。と同時に上方向から太陽光に照らされる。
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 階段を登り切り、振り返るとリビングが見える。見上げると空が・・・。一瞬えっあれ、内部と外部がサンドイッチになっていることに気づくのに時間がかかった。
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玄関・キッチンとリビングの間にはRCの柱がずっしりと床から生えている。住宅内部では通常味わうことのないスケールと素材感が生活をズボっと貫通していた。でも、不思議と邪魔に感じない。むしろ可愛いくらいだ。これがとても不思議であった。恐らく、篠原一男はこのRCの大きさを血反吐吐くくらいに厳密に大きさを調整していたのだろうと思う。でなければ、こんなにも絶妙に生活の邪魔をしてはくれない。
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 三角窓も内部に入って、座っている分には外部が気に過ぎることはない。また意外とその窓から入る光が美しかった。玄関で天窓に照らされていた時も感じたが、自然光ってこんなに気持ちの良いものだったけか、という思いがふわり浮かんだ。その思いは住宅のどの場所に居ても感じることのできるものだった。
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 ヴィールトの部屋も内部に入ってみると中々広かった。目玉によって搾り取られた光。そこから見える住宅街。いつもと変わらない日常がこの建築を通過すると生き生きとしてくる。これも篠原の呪いなのか。彼が亡くなっても住宅は呼吸を辞めない。
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 ただこのRCの間に座ってみたり、なんなんじゃこれはと話していたりする。もうその時点で篠原劇場の始まりだったりする。社会の激動に負けない激動がこの住宅には横たわっている。だから未だに僕らを魅了し続けている。


 「篠原さんが一つひとつつくり上げていった、ある精神こそ汲み上げるべき。初期の住宅は、社会に対する猛烈な反発、批判など、血のにじむような想いが込められている。」


 東京建築コレクションの巡回審査で伊東豊雄から言われた言葉が思い出される。

 伊東さんが「身体性」という言葉をよく使うけど、それも実は篠原一男の経由の言葉ではないかと思う。その身体性は妹島西沢石上と受け継がれ、藤本壮介の単一連鎖ブリコラージュによって「野生の思考」に回帰したと言っても言い過ぎではないだろう。
 だとしたら、もうちょっとこう社会にガツンともの申す建築家がいてもいいじゃないか。建築家も様々なバリエーションに変容してきた時代だからこそ、現代社会に対する新たな批評のかたちがあるはずだ。どうも新事業開拓に胸を躍らせているだけで、何も成されていないし進んじゃいない気がする。このままでは篠原さんも多木さんたちのチャンチャンバラバラも浮かばれない。そんな思いを馳せながら、じゃあ自分が僕らの世代が何をすべきで何ができるのだろうかと自問自答を繰り返し、ただただ代々木上原の住宅街を傘もささずにもくもくと歩いて帰るしかなかった。こんな日はびしょ濡れで帰るくらいが丁度いい。だって、「精神」と「身体」の熱がいつまでも僕の体から抜けることがなかったから。

徳田直之


















by tokup_nao | 2011-06-22 21:40 | 建築 | Trackback | Comments(0)